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盛岡・先人記念館で柴内魁三の企画展 「特別支援教育の父」の生涯たどる

「岩手県立盲学校」の看板などが並ぶ展示室

「岩手県立盲学校」の看板などが並ぶ展示室

 盲学校の創設などに尽力した盛岡市出身の先人・柴内魁三を取り上げる企画展「奉仕の心 柴内魁三」が現在、盛岡市先人記念館(盛岡市本宮)で開かれている。

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 柴内魁三は、現在の岩手県立盛岡視覚支援学校と盛岡聴覚支援学校の前身となる、岩手盲唖(もうあ)学校の創設に取り組み、「特別支援教育」の父とも称される。今年没後60年を迎えたことに合わせ、その生涯と功績を紹介する展示を企画した。企画展で取り上げるのは、今回が初めてだという。

 柴内は1879(明治12)年に現在の大沢川原に生まれ、仁王尋常小学校(現・仁王小学校)、盛岡高等小学校(現・下橋中学校)、岩手県尋常中学校(現・盛岡第一高校)で学び、陸軍士官学校に進んだ。その後、陸軍軍人となり日露戦争に出征し1905(明治38)年の奉天の会戦で負傷し、両目を失明した。

 担当学芸員の中浜聖美さんは「少年時代は経済的に苦しい生活の中、遠い道のりを歩いて学校に通うなど苦労が多かったが、学び続ける姿勢にガッツがあるなと思わされる。奉天の会戦は多くの死傷者が出た大規模な戦闘だった。展示資料の中には、柴内の負傷の記録が記されているものもある」と話す。

 日露戦争の終結後に退役した柴内は、1909(明治42)年に東京盲唖学校の教員練習科に入学。柴内と同時に入学した7人のうち、5人は日露戦争での負傷や疾病により失明した軍人だったという。同校の卒業後、盛岡に戻った柴内は盲唖学校の創設に向けて行動し、軍服姿で新聞社を訪れ、視覚障害者は教育を受ける機関がないこと、盛岡にも教育機関を整備したいと考えていることを訴えた。その後、1911(明治44)年に岩手盲唖学校が開校、翌年には聴覚支援教育を始めている。展示資料には、岩手盲唖学校の開校式の案内状や、演芸会のプログラム、盛岡視覚支援学校所蔵の点字タイプライターやそろばん、学校看板、盛岡聴覚支援学校所蔵のうちわ太鼓など学校で使っていた道具が並ぶ。

 柴内は水道事業や病院事業にも関わり、傷病兵の慰問も積極的に行っていた。展示資料には戦傷者に贈られた白杖(はくじょう)があり、柴内はこの杖を好んで使っていたという。中浜さんは「86歳で生涯を終えるまで、誰かのために何ができるかを考え、社会と関わり続ける人生だった。現代に続く柴内の功績をさまざまな資料から見てもらいたい」と話す。

 開館時間は9時~17時(入館は16時30分まで)。月曜休館(祝日・休日の場合は翌平日)。入館料は一般=450円、高校生=300円、小・中学生=150円。9月6日まで。

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