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盛岡市先人記念館で「金田一勝定」展 岩手の経済発展に尽くした姿に焦点当て

展示室中央には大きな年表と「盛岡銀行(現岩手銀行赤レンガ館)」の模型

展示室中央には大きな年表と「盛岡銀行(現岩手銀行赤レンガ館)」の模型

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 盛岡市先人記念館(盛岡市本宮)が現在、第63回企画展「金田一勝定-盛岡財界の巨頭-」を開催している。

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 金田一勝定は1848年に現在の盛岡市本町通に生まれ、「盛岡銀行」や「盛岡電気株式会社」「岩手軽便鉄道」など多くの企業の創業に携わった実業家として知られている。1920(大正9)年に亡くなり、昨年没後100年を迎えた。本来、同展も昨年の開催を予定していたが、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、思うように研究が行えないことなどを理由に延期となっていた。

 同展では、勝定が設立のために力を尽くした3つの企業から実業家としての側面と共に、人となりや生涯について紹介する。展示は4章構成で、第1章は「勝定の人となり」と題して、人物像や県会議員・市会議員時代について触れる。第2章「実業家としての勝定」と第3章「勝定の最後」では、「盛岡銀行」「盛岡電気株式会社」「岩手軽便鉄道」の設立についてと、頭取や社長を務めた勝定の業績、勝定が亡くなる時までを取り上げる。

 担当学芸員の中村晶子さんは「政治家であり経済人、そして実業家だった勝定の広い人脈にも注目してもらいたい。例えば展示資料の『弔慰者芳名録』にもそれが現れていて、厚みがあり、企業の代表者の名前が多く、原敬の名前もある。勝定は『東北の渋沢栄一』と評されることもあるが、渋沢栄一本人からの弔文も資料として並べている」と話す。

 もう一つの注目ポイントは、勝定の「支える人」としての側面だという。勝定は娘のリウや婿の國士(くにお)など周囲の人の教育やサポートに熱心に取り組み、おいの言語学者・金田一京助のアイヌ語研究を費用面などで援助していた。京助はのちに「私のアイヌ語の産婆」というタイトルで勝定についてのエッセーを書き、自分の研究に対して理解を示した勝定への感謝をつづっている。

 資料展数は計87件121点。写真や文書、図面などから盛岡の近代化と当時の様子、勝定の功績を伝える。中村さんは「展示で取り上げている3つの会社はもうないが、盛岡銀行の建物は岩手銀行赤レンガ館として残り、盛岡電気は現在の東北電力へつながり、岩手軽便鉄道も現在はJR釜石線となっている。現代の暮らしの背景にある歴史と人物について思いをはせてもらえれば」と話す。「勝定は地元で企業を興し、経済を回そうとした。これは想像でしかないが、今、地元で頑張ろうとしている皆さんと同じ気持ちでいたのではないかと思う」とも。

 開館時間は9時~17時(最終入館16時30分)。入館料は一般=300円、高校生=200円、小・中学生=100円。8月29日まで。

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