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盛岡で「南部鋳金研究所」題材の企画展 南部鉄器の発展の歴史たどる

南部鋳金研究所の発足について取り上げる一角

南部鋳金研究所の発足について取り上げる一角

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 盛岡市先人記念館(盛岡市本宮)で現在、第66回企画展「南部鋳金研究所に集う人々」が開かれている。

大正天皇に献上した花瓶のミニチュア。完成記念の写真もパネルで展示している

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 「南部鋳金研究所」は、盛岡の南部鉄器振興のため、南部家43代当主の利淳が1914(大正3)年に開設した。今年は初代所長を務めた盛岡出身の松橋宗明の没後100年、同研究所の中心人物で松橋の死後に引き継いだ3代高橋萬治の没後80年に当たることから、同展を企画した。

 担当学芸員の河野聡美さんは「研究所発足当初の資料や先行研究も少ないので、南部鋳金研究所と聞いて、ピンとくる人の方が少ないかもしれない。今回は研究所と南部鉄器の発展に貢献した人物を中心に南部鉄器の歴史も紹介する」と話す。

 展示は4章構成。1章・2章では盛岡の南部鉄器の歴史について触れ、3章・4章で南部鋳金研究所を取り上げる。同館収蔵資料に外部資料を加え、松橋宗明の作品をはじめとする研究所に関連する作品の実物や文書資料などを展示する。

 1914年の南部家の「御用留(ごようどめ)」には、松橋がたびたび南部家を訪れていたことや、5月31日付で松橋が南部鋳金研究所の所長に嘱託されたことが記されている。研究所には7~11人の職人が在籍。釜や鉄瓶を中心に花瓶、置物、香炉、灰皿などを製造していたほか、外部からの受注にも応じ、市内の寺院に納められる鐘や、大正天皇の即位を記念して献上した花瓶の製造を請け負っている。研究を第一目的としていたが、鋳造した作品のうち、将来の参考として保存するべきもの以外は販売を行い、同研究所の作品には商標が付いていた。

 1922(大正11)年に松橋が亡くなると、研究所で職工長を務めていた3代高橋萬治が継承し、「高橋鋳金研究所」と改称。昭和天皇に献上した花瓶の鋳造なども請け負った。高橋鋳金研究所の作品にも改称前の商標が押印されている。

 その後、戦争が始まると次第に鉄瓶や鉄製品の鋳造が禁止となっていったが、職人たちは南部鉄瓶の鋳造技術の保存に取り組み、伝統工芸として現代に続いている。河野さんは「研究所の体制は長く続かなかったとみられるが、現代まで続く南部鉄器の技術向上や人材育成に与えた影響は大きいと考えられる。これから研究が進めばもっと多くのことが分かってくると思う。そのためにも、皆さんにもっと広く知ってもらえれば」と呼びかける。

 開館時間は9時~17時(入館は16時30分まで)。入館料は一般=300円、高校生=200円、小・中学生=100円。月曜・毎月最終火曜休館。11月20日まで。

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