紫波町のスポーツ功労表彰式が12月20日に行われ、同町出身でパリパラリンピックの陸上競技に出場した小野寺萌恵選手が表彰された。
小野寺選手は車いす陸上競技女子100メートルと800メートルで、脳性まひなどのT34クラスに出場し、どちらも6位入賞した。町民で初めてパラリンピックに出場し、町民に勇気と感動を与え、町の名を高めたとして、熊谷泉町長から賞状や花束などが贈られた。
紫波町情報交流館で行われた表彰式には小野寺選手や関係者が出席したほか、多くの町民が集まり、小野寺選手の功績をたたえた。熊谷町長は「パラリンピックでの入賞は、小野寺選手が競技に出合い、世界を目指すと決めてから続けてきた努力の結果。風を切って駆け抜ける力強さで、町民に感動と勇気を与えてくれた。感謝と敬意を表する」と賞状を手渡した。
岩手県障がい者スポーツ協会の平藤淳会長は「世界最高峰の舞台で今シーズンのベスト記録を更新し、走り抜けた小野寺選手の姿は多くの人々の心を揺さぶった。これからも、障害のある人にもない人にも、スポーツに関わる人にもそうでない人にも、全ての人に感動を届ける存在であり続けて」と伝えた。
小野寺選手は「パリパラリンピックの100メートルで自分が持つアジア記録を破られて落ち込んだ時、紫波町の『かかしまつり』のニュースが元気をくれた。地元の皆さんからの応援が力になった。ありがとうございます」と感謝を伝え、「勉強やコミュニケーションなど苦手なことばかりの私が、陸上だけはやめたいと思ったことがない。パラスポーツが私の世界を広げてくれた。4年後のロサンゼルスパラリンピックでメダルを取ることを目標に力を付けていきたい」と話した。
表彰式後のインタビューでは笑顔で受け答えをしていた小野寺選手だが、パラリンピックについての感想や振り返りなどを問われると次第に真剣な表情になり、「メダル獲得の目標に届かずに悔しかった」と答え、「レーサー(競技用車いす)のこぎ方が悪かったところもある。こういう走りでは駄目なんだと感じた。落ち込みも大きかった。次の大会に向けて頑張っていきたい。アジア記録も取り戻す」と意気込んだ。