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【連載】盛岡の「なんかいい」話 Vol.1盛岡に暮らす人<後編・伊藤隆宗さん>

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盛岡に本社を構え新しい文化を世界に発信する「ヘラルボニー」で広報を担当する矢野智美さん。
出身地の群馬県から盛岡に移住し、まもなく10年がたとうとしています。
「盛岡愛」が加速する中で感じているのは、「盛岡は、なんだか心地いい」という思い。

この「なんかいい」には理由があるはず。

「なんかいい」の理由を探るために、
矢野さんは「盛岡を愛する人の視点」から盛岡の街を見てみようと、
さまざまな立場で盛岡を愛する人に会いに行くことにしました。

この連載では盛岡を愛する人の話を聞きながら、盛岡の「なんかいい」を探ります。

 

 昔ながらの建物が多く残る盛岡。歴史貴的な街並みを残す景観地区でもある大慈寺地区には、街道沿いに「盛岡町家」が立ち並び、住人の皆さんが街並みを守りながら暮らしています。フォトグラファーの伊藤隆宗さんは町家を改修して事務所を開き、職住一体の生活をしています。伊藤さんに盛岡町家との出会い、そしてファインダーを通してみる盛岡について聞きました。

【プロフィール】
矢野智美さん(右):群馬県生まれ。2015(平成27)年、岩手県のテレビ局にアナウンサーとして入社。
盛岡に移住して今年で10年目。現在は「ヘラルボニー」の広報として「岩手から新しい文化の発信」を目指し、同社の活動や取り組みを発信する仕事を担う。

伊藤隆宗さん(左):盛岡町家を改修して「イトウタカムネ写真事務所」を2018年に開業。
家族写真や結婚式、記念撮影など「人」を撮影するフォトグラファー。
写真事務所は撮影スタジオの機能を持ち、依頼主との打ち合わせ、撮影前の支度にも使うほか、
イベントの会場として開放したことも。

 

-伊藤さんは生まれも育ちも盛岡ですか?

伊藤:少し県外に出ていた時期もありましたが、40年くらいは岩手・盛岡で過ごしています。

矢野:県外はどちらに行かれたんですか?

伊藤:最初は東京です。そのあと、短期間ですが北陸や関西にも行きました。学生時代は岩手で過ごしていたので、ほぼ岩手・盛岡で学び、暮らし、働いています。

矢野:最初は鉈屋町以外の場所で写真の仕事を始めたんですよね。

伊藤:そうですね。盛岡の撮影会社に入って、そのあと独立して、ここに引っ越してきました。

矢野:県外での生活も経験して、盛岡で仕事を続けようと決めたきっかけはありますか?

伊藤:うーん…正直、分からないというか、「ここじゃない、ここじゃない」と探し続けて、盛岡に根を下ろすことを決めたので、何かしらの良さを感じたんだろうと思います。

-盛岡の中でも鉈屋町という地域で、しかも町家での暮らしを選んだ理由をお聞きしても良いですか?

伊藤:もちろん。僕も話したいなと思っていました。ちょっとした縁が2つ重なっていて、少し長くなってしまうんですが、大丈夫ですか?

矢野:ぜひ、聞いてみたいです。まず1つ目の縁は何だったんですか?

伊藤:僕が大学に通っていた時に出会った、建築家の渡辺敏男先生です。渡辺先生が授業の一環で鉈屋町に連れてきてくれて、それが面白かったんです。町家の歴史について学んだり、町家で暮らしている人のところに行って話を聞いたり、「岩手川酒造」の蔵を見学したり。盛岡に住んでいたのに、授業を受けるまでは鉈屋町について全く知りませんでした。授業を通じて、盛岡町家が職住一体型の住居であることも学びました。

矢野:職住一体って…まさにこの事務所のことですよね!

伊藤:そうなんです。2つ目の縁はこの町家との出合いです。撮影会社から独立を決めた時、スタジオと事務所と住む場所が一つになった、職住兼用の場所でやりたいと考えていたんです。物件を探す最中に妻が「こんな所があったよ」と見つけたのが、ここだったんです。

矢野:すごい偶然ですね!

伊藤:実はこの町家、渡辺先生が改修に関わっているんです。だから、僕もこの町家を知っていて、「え、ここ知ってる。渡辺先生のだ」と思って、すぐに管理会社に連絡して内覧しました。その時に「僕だったらこう使えるな」というイメージが持てて、その場で決めました。

矢野:そういえば、玄関ののれんに「八百倉(やおくら)」と書いてありますよね。

伊藤:ここは八百倉町家と呼ばれていて、もともと八百屋です。同じ住所の家がほかにも何軒かあるので住所にも「八百倉町家」と表記されています。大家さんに聞いたところ、以前この町家に住んでいた方が渡辺先生に相談してリノベーションしたそうです。大切にリレーされてきた建物を、傷付けないような使い方を自分ならできるというイメージがあって、借りることに決めました。


矢野:偶然とは言えない、すごいご縁ですよね。八百倉町家が伊藤さんのことを待っていたみたい。

伊藤:僕も渡辺先生に「ここでやってみたら」と言われているみたいで、鳥肌が立ちました。

矢野:職住兼用の場ということで、ここはスタジオの機能も備えていますが、ここで撮影するからこそ出る写真の味わいってありますか?(※右の写真は矢野さん撮影)

伊藤:そうですね…僕はここでスタジオ撮影もしていますが、依頼者の自宅に呼ばれる撮影をすることもあって、それがとても好きです。出張撮影などでお客さまの自宅に呼ばれて、生活の内側を見せてもらうことが多くなるにつれて、それに対してこちらも同じように開いていたいと感じるようになってきて、それでここを職住兼用にしました。自宅と事務所を兼ねた場所にして、
相手に対してオープンになるように。

矢野:記念写真といえば写真館で撮るイメージですが、私は小さい頃から写真館が苦手で…。真っ白な背景のスタジオにいつもと違う服装で入って、カメラマンの方に向けて良い顔を作ろうと思うと、いつもとは全然違う表情の自分になってしまいます。だから、日常の延長という形で撮る伊藤さんの写真が好きだなと思いました。特別な場面なのに日常も感じられます。

伊藤:ここで撮影する時は、本番用のカメラのほかに小さなカメラを用意して皆さんの支度の様子や舞台裏も撮影しています。皆さんのスマホに入っているのと変わらないような写真ですが、そこに日常がにじみ出ているのが良いんです。「スタジオでしっかり撮るのも良いけど、日常の中で撮る写真も良いよ」と伝える活動をしています。

-話は変わりますが、鉈屋町を含めた大慈寺地区は盛岡市が指定する景観地区で、歴史的な建物や景観を守るために、建築物の形や意匠、高さの制限などの基準が細かく決まっています。この景観を守るエリアで日常生活を送ることについてはどう感じていますか?

伊藤:難しい質問ですね。景観はいろいろな要素で成り立っていると思っていて、ルールを作る行政や建物を整える建築屋、この地域で商売している人、商売している人のところに通う人…僕は人が好きなので、そういう所ばっかり見てしまいますね。鉈屋町に住んでいるものの、この地域を正しく表現するための言葉はまだ持ち合わせていないな、と感じます。

矢野:私にとっての鉈屋町は静かでいられる地というか、中心市街地のにぎやかさから少し身を隠せる地で、力を使い切っても充電できるような場所かもしれないなと感じています。

伊藤:よく分かります。鉈屋町の歴史を学んで、かつてはにぎわいのある地域だった知り、今は「眠っている街」で静かなのかなと感じています。

矢野:鉈屋町が「起きている街」になったとしたら、どうなると思いますか?

伊藤:鉈屋町が起きている姿を垣間見たことはあります。以前、鉈屋町の通りを歩行者天国にして、クラフト市をやっていました。その時は、普段は車の方が多い道を人だけが歩くんです。家の中にいて、外から人の声が聞こえてきた時、鉈屋町がにぎわっていた時代の街の形が見えたんです。車がない時代、この街が「人間の尺度」で作られた時代のことを想像しました。

矢野:現代の暮らしに合わせて街を作り変えるのか、それとも昔の姿に戻して活用していくのか、住んでいる人の考えもあるので難しい選択ですが、個人的には今あるものを残して人が集まる場所になったらすてきだなと思います。鉈屋町は、もっと人が集まる、元気な場所になれるかも。

-景観というと、盛岡市内には「岩手銀行赤レンガ館」「旧石井県令邸」「盛岡八幡宮」など、記念撮影の定番スポットが多いですが、カメラマンが写真の舞台として見る盛岡ってどんな感じでしょうか?

伊藤:少し語弊があるかもしれませんが、僕は「どこも良い」と思っています。どんな場所にも、そこを造った人の愛情やプライド、訪れた人の思い出があるとすると、必ずどんな場所にも美しさを見いだせると思っています。そこに気付けるか、気付けないかと考えています。

矢野:そういえば、「赤レンガ館」や「旧石井県令邸」、そしてここ鉈屋町にも、盛岡って古くからの建物がたくさん残っていますね。

伊藤:目の前にあるものは、今そこにあるという時点で途方もない選択を経て残っているので、そこにあるだけですごいことだと思います。それを作った人や、残そうとしてきた人たちの思いも全部重なって今があるので。

矢野:なるほど。日常の中の当たり前の風景だと捉えていたので、残っていること自体がすごいということを忘れていました。もっと、じっくり見直してみたいです。

-さて、矢野さんいわく、「伊藤さんはなんかいい」を知っている人だということですが…この連載では「盛岡ってなんだか居心地がいい」と感じる理由、「なんかいい」の理由を探しています。伊藤さんが「盛岡ってなんかいいな」と思うところって、どんなところでしょうか?

伊藤:僕はまだ盛岡を言い表すための言葉を持っていないので、この問いに答えるのがとても難しいです(笑) どうしようかな…。

矢野:もし良かったら盛岡の街の中で撮影した写真を見せてもらってもいいですか?

伊藤:もちろんです。…この2枚は盛岡バスセンターの前で撮影した妻と子どもの写真です。これが古いバスセンターの時で、こっちは新しいバスセンターの時です。そしてこれは、桜山周辺で撮った新郎新婦の写真(※)です。新婦さんが桜山に思い入れがあるということで、こちらで写真を撮りました。
※右の写真、伊藤さん提供

矢野:わあ、どれも良い写真ですね。

伊藤:街の魅力は、建物や景色にどれだけの人が愛情や思いを乗せてきたかにあると思います。例えば、喫茶店を営んでいる人、そこに通う人、ここで人生を過ごした人の時間が見えてくると、魅力的だと感じます。ものすごい数の人が盛岡という街に関わっているんだということを想像すると、「わあ」っていう気持ちになるんですよね。この「わあ」が僕にとっての「なんかいい」なのかな。

矢野:私も盛岡の人から店の歴史や昔の街のことを聞くと、何だか「尊いな、残したいな」という気持ちが湧いてきます。伊藤さんの話を聞いて私の感覚と似ているなと思ったんですが、どうでしょうか?

伊藤:分かります。そういうのですよね。僕の「わあ」も「尊い」という言葉に近いのかも。街の中に愛着を感じられる、生きている人も亡くなった人も含めて、個人の集積を感じられる。人間を感じられるところが好きなのかもしれません。

矢野:伊藤さんはいろいろ人の手を経て完成するものや、長い時間をかけて出来上がる人々の関係性の中に良さを見つけるのがうまいんだなと思います。

伊藤:まだまだ気付けていないものも多いです。だから、「なんかいい」の「なんか」の理由もまだ分かりません(笑) でも、「はっ」とする気付きがあって、その気付きの中に「なんか」を見つけていると思います。だから、「はっ」とする感覚に忠実でいることが大切なのかも。

矢野:「なんか」は「なんか」のままであっていいのかもしれませんね。明確に分からなくても、それがひもとかれる瞬間がたまにやってくる。

伊藤:その瞬間って、なんだか贈り物みたいですね。

 矢野:「はっ」とする瞬間の贈り物、良いですね。私も逃さないようにしたいです。今日はありがとうございました。

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