「原敬100回忌特別企画展 後編『政界への雄飛』」が現在、「原敬記念館」(盛岡市本宮4)で開催されている。
2020年が原敬の100回忌に当たることから企画された同展。同館では2018(平成30)年度から「原敬100回忌記念事業実行委員会」と共にさまざまな記念事業の準備を進め、同展も記念事業の一環として企画していたが、新型コロナウイルス感染症の影響を受けて原敬の没後100年に当たる今年度に開催が延期となっていた。
同展では原敬の業績や生涯を前後編に分けて紹介。今回の後編は、「大阪毎日新聞」の社長時代から政界への進出、政治家としての活躍、そして「平民宰相」と呼ばれた第19代内閣総理大臣時代を最新の研究成果を踏まえて取り上げる。展示資料数は89件で197点。同館が収蔵する資料のほか、遺族からの借り受けや今回初公開、十数年ぶりの展示など貴重な資料もある。
今回初公開となる資料の一つが同館収蔵資料の「盛岡市原敬選挙推薦同意書」と被選挙人の欄に「原敬」と書かれた「原敬投票用紙」。原が初出馬・初当選となった衆議院議員選挙に関する資料で、本来は回収されるはずの投票用紙が残っているのは珍しいという。岩手県初公開資料として、原直筆の「寶積(ほうじゃく)」の書、11年ぶりの展示となる遺書の原本や、東京駅で暗殺された時に使用していたハンカチなども展示する。
展示資料の中でも多く登場するのが県指定有形文化財の「原敬日記」。本人の生活や対人関係、政治への考えなどが記され、「普通選挙には反対なのではなく、少しずつ進めること」「暗殺の計画があると聞くが、運を天に任せて特別な警戒はしない」といった記述もある。原本人も遺書の中で「自分の遺物の中でも日記が大事なものであること」「当分は世に出さず保存し、数十年経ったら世に出してもいい」と伝え、歴史的な資料としての活用を見越していたことが分かる。
同館の学芸員・田崎農巳さんは「日記に書かれている字からも本人の変化が見て取れる。たとえば立憲政友会の総裁時代と内閣総理大臣時代。総裁時代の字は少し荒っぽい。それまで西園寺公望が総裁を務め、補佐として嫌われ役に回っていた原が西園寺への文句のようなことを書いていて、『原さんも愚痴を言うのだな』と思った。総理になると字がどっしりとして落ち着きが出てくる。西園寺との関係にも変化が出て、手紙や日記の内容からも読み取れる」と話す。
現代にもつながる資料として、第1次世界大戦終結後のパリ講和会議で原内閣が提案した「人種差別撤廃案」がある。不採用にはなったものの世界的な反響を呼び、原が力を入れた「協調外交」の一端が分かる。
田崎さんは「100年前も、100年後の今もリンクする時代がある。資料から分かるのは、原敬が『寶積(ほうじゃく)』の人だったということ。寶積には人に尽くして見返りを求めないというような意味がある。誠実で着実、当時の状況を見ながら政治をし、将来のことも考えていた。こんな人が岩手・盛岡出身であること、そして彼がどんなことをしたのか、それを改めて知るのは、今、意味があることだと感じる」と話す。
開館時間は9時~17時(最終入館は16時30分)。入館料は、一般=200円、小・中学生=50円。来年1月23日まで。期間中、11月20日、12月18日、1月23日の13時30分から学芸員が展示解説を行う。定員は10人。参加希望は開催日2週間前の10時から電話で受け付ける。