盛岡市先人記念館(盛岡市本宮)で現在、収蔵資料展「冨田小一郎の遺品展」が開かれている。
冨田は盛岡出身の教育者で、現在の盛岡第一高校の教師となったほか、現在の盛岡商業高校、盛岡市立高校の創設にも貢献したことでも知られる。教え子に石川啄木や金田一京助、米内光政がいたことや、創設した学校は有名な一方、本人の生涯についてはなかなかスポットが当たらないという。今回は2025年が冨田の没後80年だったことから展示を企画し、2009(平成21)年に開催した冨田に関する企画展を再構成。遺族に当たる人物から寄贈を受けた資料から、写真やノートなど125点を展示する。
冨田は盛岡の作人館で学び、宮城の英語学校に進学。現在の東京大学の予備教育機関に入学するも授業料が続かずに退学し、その後、三菱商船学校に入学したが、2年間で退学している。1891(明治24)年に岩手県尋常中学校(後の盛岡中学校、現在の盛岡第一高校)に着任した当時は教員免許を持っていなかったため、免許取得の試験勉強もしていた。
担当学芸員の中浜聖美さんは「教え子たちのエピソードから冨田が厳しい先生だったと知られているが、冨田自身が教師になるまでさまざまな苦労をして学び、キャリアを積んできた。その背景があり、教え子たちにも頑張って学び、郷土の役に立ってほしいと厳しくしていたのかもしれない」と話す。
厳しさの一方、展示資料からは教え子たちを見守り、助けていた側面も読み取れる。冨田の家計簿には「米内光政氏へ」という項目があり、米内に学費の援助をしていたことが分かる。米内からは卒業後も近況を伝える手紙や写真も届いていた。冨田のアルバムには教え子の活躍を伝える新聞記事の切り抜きが丁寧に貼り付けられている。1939(昭和14)年に東京で盛岡中学校の教え子たちが開いた謝恩会には、米内や金田一のほか、板垣征四郎、野村胡堂などが参加し、新聞では「日本一の謝恩会」と報じられている。
このほか、商業学校の創設や女子教育への貢献、水泳が得意だったエピソードなども紹介。水泳大会や水泳の授業での写真、同窓会で教え子の女性とその子どもたちと笑顔で写る写真などを展示する。
中浜さんは「生徒のために備品を自分で買い付けたり、就職の支援もしたりと熱意を持って教育に取り組んでいたことが資料から感じられる。卒業入学シーズンなので、冨田の歩みを通じて、展示を見た皆さん自身の学校や先生にも思いをはせてもらいたい」と話す。
開館時間は9時~17時(入館は16時30分まで)。月曜休館。入館料は一般=300円、高校生=200円、小・中学生=100円(4月1日からは一般=450円、高校生=300円、小・中学生=150円。6月14日まで。