学ぶ・知る

もりおか歴史文化館で「藩校の先生」のテーマ展 盛岡藩の教育の一端を紹介

藤井が盛岡藩に来た時からの年表パネルや資料で足跡をたどる

藤井が盛岡藩に来た時からの年表パネルや資料で足跡をたどる

  • 16

  •  

 テーマ展「藩校助教藤井又蔵の足跡」が現在、もりおか歴史文化館(盛岡市内丸)で開かれている。

[広告]

 藩校教育の伝統や精神を現代に伝えることを目的にした「全国藩校サミット」が11月に盛岡で開かれることにちなんで企画した。「藩校」は江戸時代に藩士の子どもが学ぶために開設された学校で、盛岡藩では1840年の「明義堂」に始まり、1865年に「作人館」と改称されたが、藩校に関する記録はほとんどなく、不明な点も多い。同展では、明義堂で教員を務めた藩士・藤井又蔵の足跡をたどり、盛岡藩家老の政務日誌や藤井の著書などの資料で盛岡藩と南部家の教育の一端を紹介する。

 藤井は長州の出身で、医術の修行のために盛岡を訪れていた。その後、藩士として召し抱えられ、藩校の助教として採用されたという。担当学芸員の小原祐子さんは「藤井は盛岡を訪れる前から歴史書の執筆を始めている。このほかの藤井の著書からは知識の豊富さや人脈の広さが感じられ、自分が有用な人材であることを売り込むためにも役立ったと推測できる」と話す。

 藩校で儒学を担当し、明義堂で月6回ほどの講義を行っていたほか、盛岡城内での講義、教科書の出版、南部家の子どもたちへの教育にも携わっていた。加えて、藩主から特別な依頼を受けた仕事や、藩士としての意見提出も行っていたという。「南部家の子どもたちの教育は藩士になってから亡くなるまで20年近く続けていた」と小原さん。「書物などに関して幅広い知識を持っていた藤井は、物知り博士として頼りにされていたようだ」と話す。

 藤井は亡くなる数カ月前にも、後任の江幡五郎に譲っていた盛岡城内での講義について、江幡が病気などの時に代理を務めるよう命じられていた。小原さんは「藩校の先生だけではなく、藩主や藩士が参加する城内での講義や、盛岡では手に入りづらい儒学の経典の出版など、盛岡の人々に学問を広めるために尽力した人物。当時の先生も現代と同じく忙しくしていたんだろうなと想像を膨らませてもらえれば」と話す。

 開館時間は9時~19時(入場受け付けは閉館30分前まで、11月からは18時閉館)。観覧料は、一般=300円、高校生=200円、小中学生=100円。盛岡市内在住・就学の小中学生、市内在住の65歳以上は無料。12月16日まで。

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース