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盛岡市先人記念館で実業家・三田義正の企画展 現代に続く足跡をたどって

三田商店の蔵から見つかった資料の数々が並ぶ展示室

三田商店の蔵から見つかった資料の数々が並ぶ展示室

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 盛岡出身の実業家・三田義正について取り上げる企画展「実業家・三田義正-盛岡の街と人材をつくる-」が現在、盛岡市先人記念館(盛岡市本宮)で開かれている。

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 三田義正は現在の三田商店や三田農林を設立し、盛岡市中心部の開発、人材育成・教育事業に尽力したことでも知られる。今回は義正の没後90年に合わせ、三田商店の蔵から見つかった義正に関わる未調査資料を1年かけて調べた結果を踏まえて、義正の功績と足跡を紹介する。

 担当学芸員の河野聡美さんは「義正はいろんなことに取り組んでいて、七十数年の人生でこれが全部できるのかと驚いた。この展示が義正個人の歴史や会社の歴史、現代の盛岡に残る足跡に触れるきっかけになれば」と話す。

 展示は4章構成。1章は若い頃の義正について触れ、東京の「学農社学校」で農業を学んでいた当時の記録や日記を展示。同校卒業後は岩手に戻り、西洋ナシやリンゴ、アスパラガスなどの栽培を手がけ、品評会に出品した記録もある。

 2章は「三田火薬販売所」と「三田合資会社」の設立について紹介。事業面では思うような成果を上げられない時期もあった義正は、母の資金援助を受けて1894(明治27)年に三田火薬販売所を創業。商号を「三田火薬銃砲店」に変えた後は、北海道や東京に支店があり、ガラスやセメント、石油の販売も手がけていた。1929(昭和4)年に組織を新たにし、「三田商店」を設立。三田商店の設立時に相談役となった義正が「このような会社になれば」と話した会議録や、現在まで大事に受け継がれている義正の訓示が展示されている。

 火薬業以外に、義正は農場と牧場を個人事業で運営。1909(明治42)年には牛乳販売を始め、バターなどの乳製品の加工にも着手していたといい、バターのラベルを展示している。1929(昭和4)年に農業、林業、牧畜、不動産業を集約した三田合資会社を設立し、現在の三田農林となっている。義正は農業や牧畜を「穏健な方法で国家に貢献する手段」と表していたという。

 3章では義正が関わった菜園地区の埋め立てや盛岡中心市街地の開発、岩手中学校の設立について取り上げる。当時の書簡や寄稿で義正は、盛岡を東北の模範的な都市にしたい、岩手には中学校の設置が必要であるといったことを述べている。4章は「私人・三田義正」と題し、義正の没後に行われた座談会で語られた内容などから、本人の人物像について触れる。

 河野さんは「現代の大通や中央通には義正が残した足跡がある。街を歩きながら、あれにも、これにも義正が関わっていたんだなと思いをはせてほしい。きっとびっくりすると思う」と話す。

 開館時間は9時~17時(入館は16時30分まで)。入館料は一般=300円、高校生=200円、小・中学生=100円。月曜、毎月最終火曜、12月29日~1月3日休館。2月8日まで。

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