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盛岡てがみ館で教育者・冨田小一郎の企画展 教え子からの手紙中心に

東京で開いた謝恩会の写真と富田の都合を聞く手紙が展示されている一角

東京で開いた謝恩会の写真と富田の都合を聞く手紙が展示されている一角

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 盛岡出身の教育者・冨田小一郎の元に届いた手紙などを紹介する企画展「拝啓 冨田小一郎様-冨田小一郎へのてがみ-」が現在、盛岡てがみ館(中ノ橋通1)で開かれている。

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 今年は冨田の没後80年に当たることから企画した同展。冨田は1891(明治24)年から約10年間、岩手県尋常中学校(後の盛岡中学校、現在の盛岡第一高校)に赴任し、教え子には内閣総理大臣を務めた米内光政、陸軍大臣を務めた板垣征四郎、言語学者の金田一京助、作家の野村胡堂などがいることで知られている。

 同館の企画展では取り上げる人物が書いた手紙を展示することが多いが、今回は冨田が受け取った手紙を中心に展示。送り主と冨田の関係性やエピソードなどを紹介する。展示の冒頭では、冨田自身について紹介。石川啄木の担任も務め、歌集「一握の砂」に冨田について詠んだ歌が収められていることなどについて触れる。

 続いて、1939(昭和14)年6月に盛岡中学時代の教え子らが冨田を招き、東京で開いた謝恩会について紹介。冨田が上京できる日を尋ねる手紙の送り主には、複数の教え子の名前が並んでいる。担当学芸員の山崎円さんは「手紙の中には、当時陸軍大臣だった板垣と海軍大臣の米内は時節柄出席できないかもしれないということも書いてあるが、実際は2人とも出席した記録がある。忙しい合間を縫っても会いたいほどの恩師だったんだろうと推測できる」と話す。

 手紙の送り主としては、交流があった物理学者の田中舘愛橘と実業家の三田義正、教え子の米内、野村、金田一など10人を取り上げる。教え子の郷古潔から届いた手紙には、同じく冨田の教え子の及川古志郎と米内の3人で会食したことを伝えるものや、3人で一緒に名古屋へ向かう最中に書いたものが展示されている。

 「教え子からの手紙は、複数人で一緒に書いたものがいくつかある」と山崎さん。「先生のうわさをしていると書いてある手紙もあるので、みんなで集まった時に冨田の話で盛り上がり、手紙を書いたのかもしれない」と笑う。

 金田一が送った手紙では、自身が編集した「明解国語辞典」の誤りを冨田が教えてくれたことに対しての感謝を述べているほか、野村は「あらえびす」のペンネームで書いた音楽関係の本が文部省推薦になったことを伝え、「一冊はぜひ先生のご高覧に」と手紙を送っている。

 山崎さんは「冨田は厳しい先生だったと言われているが、手紙を通じて大人になってからも先生と生徒の関係性が続いていたことが読み取れるので、教え子にとっては良い恩師だったんだろうと思う。じっくり手紙を読みながら、どんな思いで書いたのか想像してもらえれば」と話す。

 開館時間は9時~18時(入館は17時30分まで)。入館料は一般=200円、高校生=100円、中学生以下と市内在住の65歳以上は無料。第2火曜、12月29日~1月3日休館。来年2月9日まで。

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