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原敬記念館で企画展「明治大正の事件災害録」 原敬日記の記録からたどる

盛岡で発生した洪水についての日記の記述を紹介する一角

盛岡で発生した洪水についての日記の記述を紹介する一角

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 企画展「原敬日記-日記に見る明治大正事件災害録-」が現在、原敬記念館(盛岡市本宮)で開かれている。

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 今年は原敬が1875(明治8)年に日記を書き始めて150年、1950(昭和25)年に養嗣子の貢によって「原敬日記」として刊行されて75年の節目の年に当たることから企画された同展。日記には政治に関わる記述が多く、日本の政治史の資料に活用される一方で、明治・大正時代の事件や災害の話題も記録されているという。同展では原敬日記に記された事件や災害を関連資料と共に振り返り、原敬日記が持つ政治的な内容以外の側面に焦点を当てる。

 担当学芸員の佐々木章行さんは「日記に書き留めたということは、事件や災害の記録を後世に残そうと考えたのではないか。原さんの目線で当時の出来事を見てもらいたい」と話す。

 展示は3章構成で、1章では原敬日記の成り立ちを解説。2章は日記に見る事故、事件、災害の記録、3章では戦争について取り上げる。最初に紹介するのは、原がパリ臨時代理公使だった時代に、フランスで建造された日本海軍の防護巡洋艦「畝傍(うねび)艦」が日本に向かう途中で消息を絶った事件。原は造船会社とのやり取りなどで建造に関わり、日記には推進式や試運転に立ち会ったことが記されている。失踪後には保険金問題や救済団体との交渉に追われていたという。

 1891(明治24)年には、日本を訪れていたロシア帝国の皇太子・ニコライが頭を斬りつけられる「大津事件」、やマグニチュード8.0の地震が岐阜県や愛知県を襲った「濃尾地震」が発生。この年の大みそかの日記には「今年は外交上には大津事件あり、内地には岐阜、愛知の大地震、議会の解散等あり」と書かれ、印象に残った様子が読み取れる。

 1910(明治43)年の日記には中津川の氾濫により盛岡市内が浸水した洪水についての記録がある。当時、原は盛岡に滞在中で、「250年に一度あるかどうかの洪水である」「市内は惨状を極め、中津川沿岸が最も被害を受けた。中津川に架かる上の橋、中の橋、下の橋などは流失した」といった被害状況が書き残されている。このほか、伊藤博文の暗殺や米騒動、日清戦争、日露戦争など歴史の教科書に載るような事柄についても日記の記述から紹介している。

 「展示の準備をするために原敬日記を読み、今の世の中と変わらないなと感じた」と佐々木さん。「地震や洪水は起こるし、令和の米騒動も、政治家が襲われることも、戦争もある。現代のことならどんな風に書き残したのか、想像しながら展示を見てもらいたい」と話す。

 8月17日まで。

 同記念館の開館時間は9時~17時(最終入館は16時30分)。月曜休館。入館料は、一般=200円、小・中学生=50円。

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