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原敬と藩校・作人舘の関係をたどる企画展 同窓生との交流にも焦点

作人館の額などが並ぶ一角

作人館の額などが並ぶ一角

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 原敬記念館(盛岡市本宮4)で現在、第67回企画展「原敬と盛岡藩校・作人館」が行われている。

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 藩校教育の伝統や精神を現代に伝えることを目的にした「全国藩校サミット」が11月に盛岡で開かれることにちなんで企画した。「藩校」は江戸時代に藩士の子どもが学ぶために開設された学校で、盛岡藩では1840年の「明義堂」に始まり、1865年に「作人館」と改称され、原敬が学んだことでも知られる。同展では作人館の歴史と原敬が学んだこと、同窓生の交流などについて72点の資料で紹介する。

 展示は3章構成で、1章では藩校に入る前の寺子屋時代の原について紹介。原は4つの寺子屋に通い、習字や算術、漢文の音読などを学んだという。学芸員の佐々木章行さんは「寺子屋は習字を中心に学ぶ場所でもあったが、原さんは字が上手ではなかったという。一方で賢いと評価されていたようだ」と話す。作人館は戊辰戦争の影響で休校したため、原は1870(明治3)年の再開を待って入学することとなる。

 2章では作人館の歴史や原が学んだことについて解説。原は文学教場の「修文所」に入学し、物理学者の田中館愛橘や、東京府知事を務めた阿部浩、北海道帝国大学初代総長の佐藤昌介、南部家第41第当主の南部利恭などと机を並べた。「学生たちはいずれもわんぱく小僧だったという」と佐々木さん。「原さんが関わっているか分からないが、田中館愛橘が寝ている間に、他の学生が彼のちょんまげを切り落としたというエピソードがある。学生時代の記録自体は少ないが、現代の学生と同じように友達と出かけたり、語り合ったりしていたようだ」と話す。

 3章では5人の同窓生を取り上げ、原が「竹馬の友」と表現する阿部との交流や、作人館時代に互いの寄宿舎を行き来する仲だった佐藤との関わり、寝台列車で偶然乗り合わせた田中館に「誰かと思ったら田中館だ。おい起きろ」と声をかけたエピソードなどを紹介する。

 佐々木さんは「後の交流を見ると、原さんにとっては作人館で学んだことよりも、生涯にわたって頼れる仲間を得たことが収穫だったのかもしれない。誰にでも学生時代はある。先人たちの学生時代と学校について知り、身近な存在に感じてほしい」と話す。

 開館時間は9時~17時(最終入館は16時30分)。月曜休館。入館料は、一般=200円、小・中学生=50円。9月8日まで。

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