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盛岡城に関わる新たな史資料を発見 最後の姿を探る手掛かりに

「盛岡城本丸北之御休息之図」全体図。左が1階部分(提供=盛岡市教育委員会事務局歴史文化課)

「盛岡城本丸北之御休息之図」全体図。左が1階部分(提供=盛岡市教育委員会事務局歴史文化課)

 盛岡市教育委員会事務局歴史文化課が2月6日、盛岡城関係史資料調査の取り組みにより、本丸御殿北西部を描いた平面図「盛岡城本丸北之御休息之図」が新たに確認されたと発表した。

左側のページに北之御休息之図が袋とじ状になった「被仰出書留」(提供=盛岡市教育委員会事務局歴史文化課)

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 盛岡市では現在、盛岡城跡の歴史的価値の理解を深めて次世代へ継承するとともに、かつて城内に存在していた建物について探るため、盛岡城に関する絵図や写真、文献資料といった史資料の調査に取り組んでいる。

 新たに確認された「盛岡城本丸北之御休息之図」は、本丸にある藩主の居住区域で政務を執り行う場の「御側」に当たる本丸御殿北西部一階・二階部分の平面図。「御休息」は藩主用の居間で、対面・接客機能を併せ持っていたという。同図面は昨年7月、もりおか歴史文化館が収蔵する古文書「被仰出書留(おおせいだされかきとめ)」内に袋とじにされた状態で見つかった。

 盛岡城史資料調査担当の花井正香さんは、盛岡城の普請の記録を古文書から探している最中に、この図面を見つけたという。花井さんは「何か入っているなと思って出してみたところ、まだ把握していない資料だった。身近な場所から、まだまだ出てくるものだなと調査担当のみんなで驚いた」と笑顔を見せる。

 「被仰出書留」は、藩主や家老職からの重要な指示を書き留めたもの。図面が収められていたのは、15代藩主・南部利剛が参勤交代により江戸から盛岡に到着した後、どのような手順で城内を通り、北之御休息に入るかを記述したページだった。同ページの内容と他の史資料を照らし合わせると、利剛が盛岡に来るのに合わせ御休息を改築し、部屋の名称を北之御休息に変更したことが読み取れる。見つかった図面は北之御休息の完成図で、名称変更の周知を目的に作られたとみられる。図面からは当時の間取り、階層構成、部屋の名前が確認できる。

 これまでの発掘調査で確認された建物の柱の痕跡と図面の柱の位置が合う箇所があり、建物の形や配置が分かるという。今後、建物の断面図などが見つかれば、当時の建物の姿が明らかになる可能性もある。

 現在、かつての盛岡城を撮影した写真は明治初年に撮影された1枚が確認されているが、北之御休息がある建物は木の後ろに隠れて写っていない。城内の建物は明治時代に取り壊され、部材は民間に払い下げられているが、普請に関する資料などを見ると、取り壊されるまで北之御休息がそのまま存在した可能性があるという。北之御休息之図は写真では分からない「盛岡城最後の姿」を知るための貴重な手掛かりになる。

 花井さんは「把握していない資料が出てきたということは、まだ調査を続ける必要があるということ。2026年度も史資料調査と発掘調査を続けていく。今回のように、思わぬ場所から新たな発見があるので、何か盛岡城に関する情報や気になる資料があれば、情報提供をお願いしたい」と呼びかける。

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