3月5日に発売した月刊文芸誌「群像」4月号に、盛岡市在住の会社員で作家のくどうれいんさんによる小説「氷柱(つらら)の声」が掲載されている。
同作品は東日本大震災を題材にした中編小説。くどうさんは同誌で「日日是目分量」というタイトルでエッセーを連載しているが、昨年8月に「震災特集でいつものエッセーより長めに書いてみないか」という提案を受けたことをきっかけに、同作品の執筆を始めたという。エッセーのほか、短歌や俳句、詩での表現を続けてきたが、小説を書くのは高校生以来。小説を選んだ理由について、「エッセーだと自分だけの話になる。フィクションでしか伝えられないことがあると思った」と話す。
「氷柱の声」は、東日本大震災の発生当時に高校生だった主人公・伊智花(いちか)と、その友人や知人たちが震災での経験について悩み、葛藤する物語。くどうさんも伊智花と同じく震災時には盛岡で高校生活を送っていた。登場人物が作中で語るエピソードも、くどうさんと同世代の岩手・宮城・福島の友人や知人から話を聞いたものを基にしている。日常と地続きで読める作品になるよう、日々の暮らしや何気ない会話、食事のシーンなどの表現もちりばめた。
今回の作品のテーマには「傷つきのむら」や「言えなかった声」がある。くどうさん自身、自分の震災体験については「ライフラインが止まっただけだから」「大きな被害はなかったから」と、進んで話すことはなかったという。一方で、「本当に大変だったことしか話してはいけないのか」「話さないと忘れてしまう、思い出せなくなってしまう」という不安を抱き続けていた。
くどうさんは「岩手県内でも被災状況がグラデーションになっていて、それは体験した人の心にも『傷つきのむら』になって表れていると感じていた。沿岸などより大きい被害があった地域の声は他の作品や媒体でも拾い上げられているように思うし、フィクションとはいっても自分が経験していないことについて誰かの気持ちを代弁することはできない。何より、私たちが経験したことを言葉にしないまま、なかったことになったり、忘れてしまったりすることが怖かった」と話す。
タイトルに使われている「氷柱」は、冬場はどこにでもあり、春になると溶けていつか消えてしまうモチーフであり、誰かの心の中にある「言いづらかった声」や「話すほどではないんだけど…」という思いを表しているという。
くどうさんは「自分自身と震災との向き合い方についても小説を書きながら考えた。書き上げて感じたのは、『私、こんなにしゃべりたかったんだ』ということ。自分の震災の話をしたかったんだなと。それは作品の長さにも表れている。こういう人に読んでほしい、届いてほしいという作品ではない。『私たちは、この物語に出てくる同世代の人はあの時、こう思っていました。こういう体験をしました。皆さんは、どうでしたか?』という投げ掛け。氷柱のような誰かの声が溶けること、溶けて消える前に誰かに伝わることにつながればいいなと願っている」と話す。