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盛岡てがみ館で「米内光政の手紙」展 戦後80年、終戦に尽力した姿伝える

戦争の終結に向けた動きを取り上げる展示終盤

戦争の終結に向けた動きを取り上げる展示終盤

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 盛岡市出身で海軍大臣や総理大臣を務めた米内光政の生涯をたどる企画展「戦後80年 最後の海軍大臣 米内光政の手紙」が現在、盛岡てがみ館(盛岡市中ノ橋通1)で開かれている。

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 今年が戦後80年に当たることから企画した同展。戦時下の海軍軍人でありながら戦争に反対し、太平洋戦争の終結と戦後処理に力を尽くした米内に焦点を当て、親友や恩師に宛てた手紙などの資料から、その生涯と人柄、戦中の立場や仕事などを取り上げる。

 生い立ちや青年期、兵学校卒業後について取り上げる展示前半は、主に米内の人柄について紹介。読書家である側面にも触れ、鎮海要港司令官任命後に恩師の冨田小一郎に宛てた手紙には「今までの激務に比べると忙しくない」といったことを書き、空いた時間を読書などに費やして知見を広めていたという。担当学芸員の中野千恵子さんは「世界の国々を見たり、読書で知識を深めたりしていたことも、戦争反対の立場を取ることにつながっていくように感じる」と話す。

 展示後半は海軍大臣時代から総理大臣時代、三国同盟に反対し続けていた時期や太平洋戦争と終戦に向けた動きなどを取り上げる。「親友に宛てた手紙には特に米内の本音が出ている」と中野さん。総理大臣に就任した1940(昭和15)年に親友の荒城二郎に送った手紙には「現内閣に対して批評があるのは百も承知。いざとなればうんと頑張る」「ただし、つまらぬけんかは受けぬつもり」といった内容が記されている。米内内閣の倒閣後に荒城送った手紙には、繰り返される戦争の歴史を「魔性の歴史」と表現し、憂いている。

 終戦翌年の1946(昭和21)年に荒城に送った手紙には「日本が比較的楽な暮らしができるようになるには、少なくとも300年はかかる」と、戦後の日本の状況に対する実感が記されている。高血圧などにより体調を崩していた1947(昭和22)年の手紙では「医者に栄養を取れと言われたが、今のご時世では難しい」というようなことを書いている。

 展示の最後には、米内と昭和天皇のエピソードも紹介。米内の没後、雑誌に載っていた米内の記事を読んだ昭和天皇が「米内が懐かしくなった」と話していたという。

 中野さんは「軍人でありながら戦争に反対することは弱虫であるとされていた時代、日本と世界平和の将来のため、戦争反対と早期終結に力を尽くしていた盛岡ゆかりの人物がいる。手紙から米内の本音や人柄、生き方を感じてもらえれば」と話す。

 開館時間は9時~18時(入館は17時30分まで)。入館料は、一般=200円、高校生=100円、中学生以下と市内在住の65歳以上は無料。第2火曜休館。10月6日まで。

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